NEWS

信長が嶋井宗室に宛てた招待状など重要文化財に 福岡市の嶋井家文書(しまいけもんじょ)


週刊経済2023年11月21日発行号

 戦国時代から江戸時代にかけて活躍した博多の豪商の一人であり、日韓貿易で巨万の富を築いたとされる嶋井宗室(しまい・そうしつ)を世に輩出した嶋井家に伝来した古文書群「嶋井家文書(しまいけもんじょ)」がこのほど、国の重要文化財に指定された。今回、福岡市博物館が所蔵する878件984点のうち、戦国から江戸時代の704件781点が今年6月27日、国の重要文化財に指定された。
博多の再興や福岡城の築城に尽力した人物とも言われる宗室は、茶道や禅にも精通しており、千利休との親交もあったとされる。当時、天下の3名物にもあげられた高価な茶器「楢柴(ならしば)」の茶入れなど、宗室は多くの茶道具を所有していたことでも有名で、当時の名物茶器は国ひとつと交換できる価値があったと言われている。
織田信長が嶋井宗室を茶会に招待した招待状「松井友閑(まついゆうかん)書状」は、宗室のために京都で茶道具披露の茶会を開催することを伝えたもので、信長が宗室を優遇していたことがうかがえる。この茶会は6月1日、本能寺で開催され、信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の前日でもある。
本能寺の変から1年後、利休が秀吉の近況を宗室に伝えたとされる直筆の手紙には、畿内を離れた宗室を懐かしむ内容や、秀吉が山崎城(京都)から大阪城(大阪市中央区)に引っ越したこと、秀吉が宗室を懐かしがり、再会を心待ちにしていること、秀吉が宗室所持の名物茶入「楢柴」の噂をしていること、徳川家康が秀吉に「初花(はつはな)」の茶入を贈ってきたことなど、秀吉の近況を詳しく知らせている。こうした文面からも、宗室、秀吉、利休3人の親密な関係性が読み取れる。
宗室の幅広い活動を記した嶋井家文書は、福岡市の歴史を紐解く歴史資料としてだけでなく、特に戦国時代末期から江戸時代初期にかけての日本の政治史、文化史、経済史、対外交流史に関する重要な資料群として高く評価されている。